あなたの秘密の花園
『お前の秘密を知っている』
いつもと変わらない一日。ただ、その日は、一つだけ違った。
ポストに見慣れぬ手紙が投函されていた。
その手紙には、たった一文と、日時と場所だけが記載されていた。
「何だこれ……?」
――気味が悪い。
受け取った主は、すぐさま捨てようかとも思ったが、一体何を知られているのか? 気になってしまい、とうとうその日時、指定された場所へと向かうことにした。
見慣れた街並を歩いて、簡単にそこへと辿り着いた。
それは都心の一画、ビルの上層階。外から見て、窓は一つもなさそうな部屋だった。
手紙にあるとおりの部屋へ向かい、ドアをノックした。
暫くすると、一人の若い女性が扉を開けた。その女性は、来訪者を扉の奥へと招き入れた……
「ようこそ、相田孝弘さん」
「この手紙は、一体どういうことなんだ?」
孝弘は手紙を突きつけ、どうやら主催者らしきその女性に尋ねてみた。
女性は柔らかく微笑んで「そうすれば、慌てて集まるでしょう?」と言った。
その返答に呆れてしまったが、女性に何かは分からないのだが引っ掛かりを感じて、思わず後をついていっていた。
そうして孝弘が案内された扉の奥、通された部屋は、まるで花園のようだった。
まだ蕾ばかりであったが、部屋を埋め尽くさんばかりの花。騒がしい都会のビルの中にこんな部屋があったとは……! まるで、秘密の花園である。
その花に囲まれて、真ん中にテーブルが一つと幾つかの椅子があり、そこには既に何人もの人が座っていた。
「これは?」
孝弘が女性に尋ねる。
「日々お疲れの皆さんを何人か呼び集めて、思い出などを語りながら、楽しくお茶でもしようかと思いまして」
変わらず笑顔で答える女性。不思議な人もいるもんだと孝弘は思いながら、案内された席に着いた。
「まずは紅茶でもどうぞ」
何人か立っていた使用人らしき女性の一人に、紅茶を差し出された。
一口口にしてみると、心地の良い甘さに、少しだけ幸せな気分になれた。
「では、皆様、集まりましたね?
本日は皆様に幸せな一時を与えようと、様々なものを用意致しました。日々お疲れの皆様には、是非とも幸せというものを思い出して頂き、素晴らしい気持ちでお帰りになってもらいたいと思います」
主催者の女性がそう言うと、パーティーというほどのものでもないが、小さな宴が始まった。
集まった人々が簡単に自己紹介をし、次は、思い出話を一人一人語り始めた。
「私にはね、娘がいたんですよ。それも、特別かわいくて――……」
「あれは僕が若い頃の話。もう随分と昔のことですが、世界のいろいろな場所を旅してまして――……」
愛おしい娘の話、若い頃の旅物語、幼い頃の楽しい出来事、中にはとても不思議な思い出も――
一人また一人と思い出を語っていく。
それは、最初の一人が話し終えたその時のことだったが。奇跡なのか? とても不思議なことが起きたのだ。
そこにあったのは蕾しかなかった花だった。それが、まるでビデオを早送りしたかのように咲き乱れた。
この光景には、その場にいた全員が息を呑んだ。
ここにあるものは美味しい紅茶、お茶菓子、そして美しい花々。それに素晴らしい思い出。
あぁ、夢のような空間だ。
孝弘はとても気持ち良くなっていた。
時間はあっという間に過ぎ、何人もいた参加者の話全てが終わり、あとは残すところ孝弘の話だけとなった。花ももうほぼ満開だ。
お茶菓子を一口かじると、孝弘は一呼吸置いてから、話し始めた。
あれはもう三年くらい前だったかな? その当時、僕にはとても愛していた女性がいました。
彼女は、僕のわがままも笑って聞いてくれるような人でした。
僕らが付き合い出したその年のクリスマス。その頃の僕はお金がなく、どこかロマンティックな場所へ行くことも、素敵なプレゼントを買うこともできませんでした。
そんな僕に、彼女は手編みのマフラーをプレゼントしてくれました。
それに対して、何のプレゼントもできない僕に、彼女は微笑んで言ってくれました。
「あなたが隣にいること。それで十分、私へのプレゼントよ」
思わず、僕は彼女を抱き締めました。
彼女はいつも「何もいらない。あなたがいれば大丈夫」そう言って笑ってくれました。それが、僕の幸せでした……
大した場所へも行けず、ろくなこともしてやれない。そんな僕でしたが、本当に彼女を愛していました。
今とは比べ物にならない、楽しい思い出です――
孝弘が話し終えると、周りの花は全て満開になっていた。
少し伏し目がちに、孝弘は面を上げた。周りの人達を見ると、共感したのだろうか、涙している人もいた。
「それで、その後、彼女とはどうなったんだね?」
一人の老人に尋ねられた。孝弘は苦笑いを浮かべながら
「それが、その……そのうちすれ違うようになり、別れてしまいまして……」
と答えると、視線をどこか遠くへと逸らした。
「そうか。それは残念だね」
「えぇ……あの頃は良かったです」
視線を戻して笑った。その瞬間だった。
「お前の秘密を知っている。
彼女を愛しているとのたまい、そのくせ、お前は彼女をボロ布のように捨てた。本当はそんなひどい男だ。
彼女は身動きできないまま、時を止めて待っていたのに。ずっとずっと待っていたのに。
捨てられた彼女は自殺してからも、尚、お前の帰りを待っていたのに。
そんなお前が、今が不満なんて、どうして? どうして?
彼女とのあの日々は幸せだったよね? そうだよね?」
突然、主催者の女性が――
女性は一変し、不気味な表情で孝弘に迫ってきた。
「な……ナンだ……ッ!?」
慌てて後ずさりをする。
「私は時を止めて待っていたのに」
使用人達も不気味な表情でケタケタと笑っている。
後ずさって気付いた、周りの花は一つ残らず枯れ、朽ちていた。
(おかしいぞ?)
花だけじゃない。周りの家具もテーブルも古く錆び付いている。紅茶のカップも汚れていて、まるで、随分古い物のようだ……
客達は皆テーブルから立ち上がり、それぞれが使用人達に、孝弘と同じように壁際にまで追い詰められている。
「あれは……俺が悪いんじゃない! 違うんだ。俺は、お前が……!!」
「嫌だ……すまなかった……助けてくれぇ……!」
それぞれがそれぞれ、怒鳴り散らしたり、許しを乞うたり、泣き叫んだりしている。
「愛していた彼女がいたのに、他の女を抱いて、ボロ布のように捨てたのに?
泣き叫んでも暴力をふるって、突き放したのに?
それでもその彼女はお前をずっとずっと愛していて、自殺してからもずっと待っていたのに。
お前は、都合の悪いことは忘れて、素晴らしい思い出だけを美化して、幸せに暮らしているくせにわがままを言って。どれだけ恵まれているか気付かずにいるんだ」
「許してくれ、留美……俺は、お前がそんなに苦しんでいるなんて知らなかったんだよ……」
孝弘の口からは、思わず助けを求める言い訳がこぼれていた。
「悪い……でも、俺なんかよりももっといい奴らと幸せになってくれると思って……あぁぁぁ…………」
その言葉に、女性の――いや、留美の顔が歪んだと思った。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
その表情に、孝弘は恐怖で身動きができなくなった。
留美の表情は、決して生きている人間のそれではなかった。今までに見たこともない表情。そして、恐怖。あの頃とは似ても似つかない顔。
――あぁ、そうか。そんなに俺を憎んでいたのか。こんな風にさせてしまうくらいに。
孝弘は、目を閉じた。
「逃げろっっ!!!!」
誰かが叫んだ。
多分客の中の一人が叫んだのであろう。その声にはっと我に返り、客達は各々部屋から飛び出し、逃げるようにビルを後にした。
「何だったんだ……えらい目に遭った…………」
無我夢中でメチャクチャに走って、暫くして追ってこないのを確認すると、孝弘はそこら辺にあるベンチで一息をついた。
(あれは、本当に……留美……?)
昔の彼女の姿を思い出す。屈託ない笑顔、……彼女を突き放した時の、悲しそうな表情。
その奥には、あれだけの憎しみがあったのか――
(そんなもの……そんなもの俺は関係ない。俺は何も悪くない。勝手に自殺したのは留美だ。自殺して恨まれても、そんなものはただの逆恨みだ!)
そう自分に言い聞かせ、顔を上げベンチから立ち上がった。
――…………?
そして、気付いた。何かがおかしい。そう――
「何だ、ここは……? ここは、どこだ?」
周りの街の様子がいつもと違う。見たことのない建物、見慣れない景色。
――迷い込んだ? いや、違う。この辺の地理は知り尽くしている。いくらなんでも人が走れる距離でここまで風景は変わらない。
「ここは……ここは、どこなんだー!?」
知らない風景、けれど、どこか面影がある……地形も、変わっている……?
孝弘は再び、辺りを窺うように、ゆっくりと歩き出した。
どうやら駅に出たようだ。駅名は……知っている。けれど、こんな外装じゃない。中も、配置が全く違う……
はやる心を抑え、その駅にある売店で新聞を手に取った。
ゆっくりと日付に視線を動かす。
そして、その事実に驚愕する。
「…………ウワアアアアアアアアあああああああああああああああああああああっ!!」
時は21XX年――……
都心の一画にあるビルのあの部屋で。
早送りのように咲く花、そして、すぐに枯れてしまった花。古くなった家具。
……そして、あの言葉。
「時を止めて待っていたのに」
「時ヲ止メテ」
「――そうして、部屋の中にいた自分達だけの時が止まっていたことに、現実にショックを受けて、彼はどこかへと消えてしまった。
彼女にとっては、彼との思い出だけが生きる意味だったんじゃろう。心がそこで止まって動けなくなり、そして、最後には自ら命を絶ってしまった。しかし、気持ちは消えず、彼女の中の時は止まったまま彼を待ち続けていた。
いつしか同じような境遇の人間……いや、幽霊、とでも言うべきかね? 彼女を筆頭に集まり、とうとう動き出したんじゃ。自分達がそこから動き出すために。思い出は美しくなりがちで、きれいな思い出として処理してしまっている彼らに思い知らせるために……
思い出は思い出として前を向いて歩ける人と、いつまでもそこに取り残されてしまう人がいるもんじゃ」
「不思議なお話だね。その彼女も、その後どうしたんだろ?」
道端の怪しげな占い師のおじいさんとまだ若い少女が話していた。
「さてね。いつまでも動けないままだったのか、はたまた、ようやっと時は動き出したのか……」
「あ! もうこんな時間。私、帰らないと」
少女がふと時計を見て気付く。手を振って、慌ててその場を後にした。
おじいさんもニコニコと手を振り返し、彼女の後ろ姿が見えなくなるのを確認してからふぅっと小さく溜め息を吐いた。それから、狭くなった空を見上げた。
「あれから、何年だったか――
わしは、いつまで思い出に囚われ続けるんじゃろうか。
この狭い街では、いつまでも身動きなんぞできんわ。
あぁ、あれから一体何年の時が経ったのか――」
テーマ『思い出』。
こんなテーマを定めながら、この展開に持っていったのは自分で気に入っておりますが。某同人ゲーム→アニメなやつか。みたいに言われてショッキング。
個人的に問題なのは、書いてみて、主人公の思い出が短くて薄っぺらくなってしまった気がしないでもないことです……
もうちょっと練らないとダメですね。
あらすじはなぁ……ぱーっと出来るんだがなぁ……ちなみに、他の参加者の思い出話もある程度考えてあります。要らないから書かないけど。
はっ。そういや、これだけキャラクターに名前がある!
『お前の秘密を知っている』
いつもと変わらない一日。ただ、その日は、一つだけ違った。
ポストに見慣れぬ手紙が投函されていた。
その手紙には、たった一文と、日時と場所だけが記載されていた。
「何だこれ……?」
――気味が悪い。
受け取った主は、すぐさま捨てようかとも思ったが、一体何を知られているのか? 気になってしまい、とうとうその日時、指定された場所へと向かうことにした。
見慣れた街並を歩いて、簡単にそこへと辿り着いた。
それは都心の一画、ビルの上層階。外から見て、窓は一つもなさそうな部屋だった。
手紙にあるとおりの部屋へ向かい、ドアをノックした。
暫くすると、一人の若い女性が扉を開けた。その女性は、来訪者を扉の奥へと招き入れた……
「ようこそ、相田孝弘さん」
「この手紙は、一体どういうことなんだ?」
孝弘は手紙を突きつけ、どうやら主催者らしきその女性に尋ねてみた。
女性は柔らかく微笑んで「そうすれば、慌てて集まるでしょう?」と言った。
その返答に呆れてしまったが、女性に何かは分からないのだが引っ掛かりを感じて、思わず後をついていっていた。
そうして孝弘が案内された扉の奥、通された部屋は、まるで花園のようだった。
まだ蕾ばかりであったが、部屋を埋め尽くさんばかりの花。騒がしい都会のビルの中にこんな部屋があったとは……! まるで、秘密の花園である。
その花に囲まれて、真ん中にテーブルが一つと幾つかの椅子があり、そこには既に何人もの人が座っていた。
「これは?」
孝弘が女性に尋ねる。
「日々お疲れの皆さんを何人か呼び集めて、思い出などを語りながら、楽しくお茶でもしようかと思いまして」
変わらず笑顔で答える女性。不思議な人もいるもんだと孝弘は思いながら、案内された席に着いた。
「まずは紅茶でもどうぞ」
何人か立っていた使用人らしき女性の一人に、紅茶を差し出された。
一口口にしてみると、心地の良い甘さに、少しだけ幸せな気分になれた。
「では、皆様、集まりましたね?
本日は皆様に幸せな一時を与えようと、様々なものを用意致しました。日々お疲れの皆様には、是非とも幸せというものを思い出して頂き、素晴らしい気持ちでお帰りになってもらいたいと思います」
主催者の女性がそう言うと、パーティーというほどのものでもないが、小さな宴が始まった。
集まった人々が簡単に自己紹介をし、次は、思い出話を一人一人語り始めた。
「私にはね、娘がいたんですよ。それも、特別かわいくて――……」
「あれは僕が若い頃の話。もう随分と昔のことですが、世界のいろいろな場所を旅してまして――……」
愛おしい娘の話、若い頃の旅物語、幼い頃の楽しい出来事、中にはとても不思議な思い出も――
一人また一人と思い出を語っていく。
それは、最初の一人が話し終えたその時のことだったが。奇跡なのか? とても不思議なことが起きたのだ。
そこにあったのは蕾しかなかった花だった。それが、まるでビデオを早送りしたかのように咲き乱れた。
この光景には、その場にいた全員が息を呑んだ。
ここにあるものは美味しい紅茶、お茶菓子、そして美しい花々。それに素晴らしい思い出。
あぁ、夢のような空間だ。
孝弘はとても気持ち良くなっていた。
時間はあっという間に過ぎ、何人もいた参加者の話全てが終わり、あとは残すところ孝弘の話だけとなった。花ももうほぼ満開だ。
お茶菓子を一口かじると、孝弘は一呼吸置いてから、話し始めた。
あれはもう三年くらい前だったかな? その当時、僕にはとても愛していた女性がいました。
彼女は、僕のわがままも笑って聞いてくれるような人でした。
僕らが付き合い出したその年のクリスマス。その頃の僕はお金がなく、どこかロマンティックな場所へ行くことも、素敵なプレゼントを買うこともできませんでした。
そんな僕に、彼女は手編みのマフラーをプレゼントしてくれました。
それに対して、何のプレゼントもできない僕に、彼女は微笑んで言ってくれました。
「あなたが隣にいること。それで十分、私へのプレゼントよ」
思わず、僕は彼女を抱き締めました。
彼女はいつも「何もいらない。あなたがいれば大丈夫」そう言って笑ってくれました。それが、僕の幸せでした……
大した場所へも行けず、ろくなこともしてやれない。そんな僕でしたが、本当に彼女を愛していました。
今とは比べ物にならない、楽しい思い出です――
孝弘が話し終えると、周りの花は全て満開になっていた。
少し伏し目がちに、孝弘は面を上げた。周りの人達を見ると、共感したのだろうか、涙している人もいた。
「それで、その後、彼女とはどうなったんだね?」
一人の老人に尋ねられた。孝弘は苦笑いを浮かべながら
「それが、その……そのうちすれ違うようになり、別れてしまいまして……」
と答えると、視線をどこか遠くへと逸らした。
「そうか。それは残念だね」
「えぇ……あの頃は良かったです」
視線を戻して笑った。その瞬間だった。
「お前の秘密を知っている。
彼女を愛しているとのたまい、そのくせ、お前は彼女をボロ布のように捨てた。本当はそんなひどい男だ。
彼女は身動きできないまま、時を止めて待っていたのに。ずっとずっと待っていたのに。
捨てられた彼女は自殺してからも、尚、お前の帰りを待っていたのに。
そんなお前が、今が不満なんて、どうして? どうして?
彼女とのあの日々は幸せだったよね? そうだよね?」
突然、主催者の女性が――
女性は一変し、不気味な表情で孝弘に迫ってきた。
「な……ナンだ……ッ!?」
慌てて後ずさりをする。
「私は時を止めて待っていたのに」
使用人達も不気味な表情でケタケタと笑っている。
後ずさって気付いた、周りの花は一つ残らず枯れ、朽ちていた。
(おかしいぞ?)
花だけじゃない。周りの家具もテーブルも古く錆び付いている。紅茶のカップも汚れていて、まるで、随分古い物のようだ……
客達は皆テーブルから立ち上がり、それぞれが使用人達に、孝弘と同じように壁際にまで追い詰められている。
「あれは……俺が悪いんじゃない! 違うんだ。俺は、お前が……!!」
「嫌だ……すまなかった……助けてくれぇ……!」
それぞれがそれぞれ、怒鳴り散らしたり、許しを乞うたり、泣き叫んだりしている。
「愛していた彼女がいたのに、他の女を抱いて、ボロ布のように捨てたのに?
泣き叫んでも暴力をふるって、突き放したのに?
それでもその彼女はお前をずっとずっと愛していて、自殺してからもずっと待っていたのに。
お前は、都合の悪いことは忘れて、素晴らしい思い出だけを美化して、幸せに暮らしているくせにわがままを言って。どれだけ恵まれているか気付かずにいるんだ」
「許してくれ、留美……俺は、お前がそんなに苦しんでいるなんて知らなかったんだよ……」
孝弘の口からは、思わず助けを求める言い訳がこぼれていた。
「悪い……でも、俺なんかよりももっといい奴らと幸せになってくれると思って……あぁぁぁ…………」
その言葉に、女性の――いや、留美の顔が歪んだと思った。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
その表情に、孝弘は恐怖で身動きができなくなった。
留美の表情は、決して生きている人間のそれではなかった。今までに見たこともない表情。そして、恐怖。あの頃とは似ても似つかない顔。
――あぁ、そうか。そんなに俺を憎んでいたのか。こんな風にさせてしまうくらいに。
孝弘は、目を閉じた。
「逃げろっっ!!!!」
誰かが叫んだ。
多分客の中の一人が叫んだのであろう。その声にはっと我に返り、客達は各々部屋から飛び出し、逃げるようにビルを後にした。
「何だったんだ……えらい目に遭った…………」
無我夢中でメチャクチャに走って、暫くして追ってこないのを確認すると、孝弘はそこら辺にあるベンチで一息をついた。
(あれは、本当に……留美……?)
昔の彼女の姿を思い出す。屈託ない笑顔、……彼女を突き放した時の、悲しそうな表情。
その奥には、あれだけの憎しみがあったのか――
(そんなもの……そんなもの俺は関係ない。俺は何も悪くない。勝手に自殺したのは留美だ。自殺して恨まれても、そんなものはただの逆恨みだ!)
そう自分に言い聞かせ、顔を上げベンチから立ち上がった。
――…………?
そして、気付いた。何かがおかしい。そう――
「何だ、ここは……? ここは、どこだ?」
周りの街の様子がいつもと違う。見たことのない建物、見慣れない景色。
――迷い込んだ? いや、違う。この辺の地理は知り尽くしている。いくらなんでも人が走れる距離でここまで風景は変わらない。
「ここは……ここは、どこなんだー!?」
知らない風景、けれど、どこか面影がある……地形も、変わっている……?
孝弘は再び、辺りを窺うように、ゆっくりと歩き出した。
どうやら駅に出たようだ。駅名は……知っている。けれど、こんな外装じゃない。中も、配置が全く違う……
はやる心を抑え、その駅にある売店で新聞を手に取った。
ゆっくりと日付に視線を動かす。
そして、その事実に驚愕する。
「…………ウワアアアアアアアアあああああああああああああああああああああっ!!」
時は21XX年――……
都心の一画にあるビルのあの部屋で。
早送りのように咲く花、そして、すぐに枯れてしまった花。古くなった家具。
……そして、あの言葉。
「時を止めて待っていたのに」
「時ヲ止メテ」
「――そうして、部屋の中にいた自分達だけの時が止まっていたことに、現実にショックを受けて、彼はどこかへと消えてしまった。
彼女にとっては、彼との思い出だけが生きる意味だったんじゃろう。心がそこで止まって動けなくなり、そして、最後には自ら命を絶ってしまった。しかし、気持ちは消えず、彼女の中の時は止まったまま彼を待ち続けていた。
いつしか同じような境遇の人間……いや、幽霊、とでも言うべきかね? 彼女を筆頭に集まり、とうとう動き出したんじゃ。自分達がそこから動き出すために。思い出は美しくなりがちで、きれいな思い出として処理してしまっている彼らに思い知らせるために……
思い出は思い出として前を向いて歩ける人と、いつまでもそこに取り残されてしまう人がいるもんじゃ」
「不思議なお話だね。その彼女も、その後どうしたんだろ?」
道端の怪しげな占い師のおじいさんとまだ若い少女が話していた。
「さてね。いつまでも動けないままだったのか、はたまた、ようやっと時は動き出したのか……」
「あ! もうこんな時間。私、帰らないと」
少女がふと時計を見て気付く。手を振って、慌ててその場を後にした。
おじいさんもニコニコと手を振り返し、彼女の後ろ姿が見えなくなるのを確認してからふぅっと小さく溜め息を吐いた。それから、狭くなった空を見上げた。
「あれから、何年だったか――
わしは、いつまで思い出に囚われ続けるんじゃろうか。
この狭い街では、いつまでも身動きなんぞできんわ。
あぁ、あれから一体何年の時が経ったのか――」
テーマ『思い出』。
こんなテーマを定めながら、この展開に持っていったのは自分で気に入っておりますが。某同人ゲーム→アニメなやつか。みたいに言われてショッキング。
個人的に問題なのは、書いてみて、主人公の思い出が短くて薄っぺらくなってしまった気がしないでもないことです……
もうちょっと練らないとダメですね。
あらすじはなぁ……ぱーっと出来るんだがなぁ……ちなみに、他の参加者の思い出話もある程度考えてあります。要らないから書かないけど。
はっ。そういや、これだけキャラクターに名前がある!
――――2008/02/24 川柳えむ