僕の生存日記   第8話:思い出という名の媚薬

『川野辺 緋路』は現在修羅場中な心境。だって、泣いてしまった上に、そんなとこをいろんな人に見られてしまった。
 優しい『千羽 緋路』は、突然現れた『神成 躍人』先輩と『今池 輝也』くんを連れて、教室を出て行ってしまったし。
 あぁ、それにしても『黒井 姫』さんにだけは、こんなとこ見られなくてよかった。泣いたとこなんて恥ずかしい。――ん? なんでそう思うんだっけ?

 涙を流したせいだろうか、なんだか喉が渇いてきた。涙を拭うと、僕は再び先ほどの飲み物を口にした。
 その時、ひろちゃんと入れ替わりにもう一方の扉が開き、今度はもう帰ったと思っていた黒井さんが現れた。
 すると突然、また先ほどと同じように体が熱くなって――……。

 なにか忘れ物でもしたのだろうか。黒井さんは自分の机の中を漁っていた。
「――黒井さん」
 僕は、そんな彼女に声をかけた。
「ふぇっ!?」
 驚いて声を上げる黒井さん。大きくてまん丸な目をさらに見開いて、僕を見上げる。
 その表情が、なんだかいつもよりかわいく見えた。
 ――だめだ。なんだか、苦しい。
 あの、デート最後の事件から――あれから、上手く話せてなかったこと。本当はずっと、ちゃんと話をしたかった。
 そして、伝えたかったんだ。
「――この間はごめん」
「え?」
 突然の言葉に、驚いて僕を見ている。
 僕は続ける。
「あの……不可抗力だったんだ。黒井さんの、その――」
「ひゃあぁぁぁぁぁぁ! そ、そのことはっ、あのっ、わ、忘れてくださいよ! 言わないでくださいー!」
 真っ赤になって僕の口をノートで押さえつけてきた。
 僕は彼女の細いその腕をそっと掴んで――そして思い切り引き寄せた。
「!? ふえぇぇぇぇっ!? かっ、川野辺っ……くんっ……!?」
「あと、あの後、あんなことになっちゃったけど――」
 彼女の耳元で囁く。
「僕の好きな人は――」

「葉乃おおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっっ!!!!????」

 叫び声が教室に響き渡った。
「ちょっ、ちょっ……! なにやってんだ!? てか、黒井姫がなんでいるんだ!?」
「え、え……!?」
 千羽が叫んでいる。
 突然の出来事に、黒井さんも戸惑っていた。
「別に黒井さんがいてもいいだろう。問題あるのか?」
 彼女の腕を握ったまま、僕はそう答えた。
「というか、その手を離せ〜〜〜〜っ!!」
 そう声を上げながら、僕と黒井さんの間に割って入ってこようとする千羽。
 僕はそれを押しのけ、黒井さんを再び抱き寄せた。
「川野辺くんっ!!??」
「は、葉乃……!」
「千羽。もう邪魔はさせないよ」
 僕はにっこり笑ってそう言った。
「だって、僕が本当に好きなのは――」
「――葉乃ぉっ!! もう1度、これを飲め〜〜〜〜っ!」
 突然そう叫んだかと思うと、千羽は先ほどの飲み物が入ったペットボトルを、僕の口に押し当ててきた。
「ちょ……! なにす――!?」

「はー。嫌になるね。血の気が多いんだからねぇ」
 そう言いながら、教室へと入ってきたのは今池くんだった。
「まったく。あんなに激昂しなくても。俺だって葉乃ちゃんの泣き顔見て驚いたから問い詰めただけだろ。あーもう、髪も服も乱れちゃったじゃないか」
 そう言いながら胸ポケットから鏡を取り出し、身だしなみを整える今池くん。
 一方、僕はそれどころじゃなかった。
「さぁ飲め! すぐ飲め!!」
「や、やめ――! ごふっ……! ごほごほっ!」
 無理やり飲み物を飲まされ、咳き込む僕。
 後ろによろけ、そして――
「うわっ!?」
「えっ!?」
 ガターン!!
「葉乃!?」
「川野辺くん!!」
 大きな音を立てて、僕は床へと転がり込んだ。
 後ろに立っていた今池くんにぶつかってしまったようだ。一緒に机やら椅子やらも巻き込んで。
「いたたた……! ご、ごめん、今池くん……」
 そして僕が起き上がった時、まず目に入ったものは、床に落ちた今池くんの鏡だった。